No.089 「ゼッテー(絶対)だな!」という正義

「ゼッテー(絶対)だな!」という正義

 子供の頃、友達から「ゼッテー(絶対)だな!」と言われたことはありませんでしょうか?次こそテストで100点を取ると宣言したときや、明日こそ借りていたゲームカセットを返すと伝えたときに、返す刀で言われるセリフです。絶対という言葉は、その後も良く耳にしますが、いつの頃からか、自分は「絶対」という言葉を使わないように意識するようになりました。それは絶対と言われていた事がいとも簡単に覆される事が多かったからです。

 20年前には「あの会社は絶対につぶれるよ」と言われていた会社が時価総額10兆円を超える会社になっていたり、自分でカフェを出そうとしている人が「そんなんじゃ絶対に通用しないよ」と言われていたけど、立派に店舗を拡大させていたりします。そんな高尚な話でなくても、世の中の常識と呼ばれるものがいとも簡単に覆されます。例えば「食べた後寝たら牛になる」。これは、食後動かないと健康に悪いと諭す時に使われる言葉ですが、今は科学的には食後は安静にした方が健康であると言われています。他にも水泳授業の後は、二股蛇口が上方に向いた水道で目を洗っていましたが、現在は眼を傷つけるから禁止されているようです。あの時、目を閉じないように指を使って全力で見開いていた作業は何だったのでしょうか。。。

 そんなシーンをたくさん見ると「絶対」ってなんだろうなと思います。仕事や生活の中でも安易に「絶対」と言って議論を押し切ろうとする人は苦手です。心の中で「そうじゃない意見もあるのではないか?」「それはあなたの正義でしょ?」と思ってしまいます。「温暖化を促進する活動は絶対悪」と口コミや社会活動でよく聞きます。これも学的に証明されているから覆されようがないと思われていますが、これまでも科学で証明されたことが簡単に覆されていることもあります。地球のサイクルで寒冷期が突然やってくる可能性もゼロではありません。その時は、温暖化を促進する事が正しいと言われる可能性もあるのです。(だからと言って、現段階で温暖化を推奨しているわけではありませんが・・・)

 「正義の反対は、もうひとつの正義」という言葉があります。これは絶対的な正しいことなど世の中には無いということです。人は自分が正しいと思う事を信じれば信じるほど、対立する意見に対して聴く耳を持たなくなります。だから私は「絶対」という言葉を多用する人はあまり信用しないようにしています。人は間違えることはあります。間違いがあるからこそ、進化してきたのです。アインシュタインさんもニュートンさんが創り上げた物理学が絶対ではないのでは?と思ったところから偉大なる発見をしました。今もコロナ禍において、zeroコロナ派とwithコロナ派がそれぞれの正義を言い合っています。横浜でもカジノ計画は絶対反対の旗印によって無くなりました。全てにおいてメリットデメリットはあると思います。最後に声を大にして言いたいと思います「絶対なんてことは絶対に無い!」


習慣サポーター けいぞうくん
(掲載日:2021年9月3日)
(次回配信日:2021年9月10日)

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