No.088 丸刈りになる先生たち

丸刈りになる先生たち
暑い日が続きます。私の暑い日の思い出と言えば、中学高校時代の野球部の練習です。夏休みの間も、ほぼ半分以上は野球漬けの日々になります。丸一日練習する時など、本当に暑さとの戦いになります。しかも、昔は「練習中に水を飲むな」という精神論が横行していた時代。休憩の時間にならないと、水を飲むことは許されません。人間貯水タンク、黒部ダム級の放水量と言われていたくらいの発汗量を誇る私にとっては、水分の枯渇は生命にも直結するほどのテーマです。私が学生の頃に水分補給の大切さが徐々に謳われるようになっていって、休憩時間以外でも水が飲めるようになりましたが、先生によってはあまり良い顔をしない人もまだまだ存在していた時代でした。よく考えたら理不尽なルールや指導って結構ありましたよね。例えばよく語られるのが校則です。千葉県出身の私は、私の兄の代まで中学生はみんな丸刈りが校則でした。さすがに、私が中学に上がる頃にはその校則は無くなっていました。今でも全国において下着の色、髪の毛の色、鉛筆の種類、腕時計禁止などのルールが残っている学校もあるらしいです。学校はダイバーシティーの真逆をいく教育です。
良く語られていた水を飲んではならない理由は、厳しい状況こそ人は成長するという精神論と、水を飲みすぎるとかえって疲れるという身体論の2つでした。髪型や髪の色を規定する理由は、恋愛にうつつを抜かすこと無く勉学に集中させるためらしいです。でも本音のところでいうと、指導者がコントロールしやすい状況を作っていたのだろうと思います。犬を飼いならす時に、善い行いをするまで餌を食べさせない躾と同じです。犬からしてみたら、「何で人間の掌に足を乗っけなければご飯をもらえへんねん!」って感じでしょうが、それをしなければご飯がもらえないので仕方ありません。指導者が、水という生命の起源を餌にすることで、選手たちが死に物狂いになるように動かしやすかったのでしょう。髪形や色を規定する事で、思春期特有の嫉妬や恋情に付き合わされることも減ると考えたのでしょう。
令和の時代においては、上記の理不尽なルールや指導はなくなりつつあります。東京オリンピックにおける選手たちも、今の時代の指導方法で金メダルを量産できました。そりゃ、理不尽な辛い練習よりは、自分で納得して楽しい練習の方が良い結果が出ます。個性を大事にしようという声はより一層大きくなっています。一方で、生徒たちの個性が高まれば高まるほど、逆に先生たちが「あれをしてはいけない」「これを言ってはいけない」などの制約が高まっているのが事実です。モンスターペアレンツはこん棒を持って校内を跋扈し、生徒たちはデジタルミサイルで社会的な抹殺をしかけてきます。理不尽な鞭が、先生から生徒や親に移ったと言えなくもありません。そのうちに、先生が拘束される校則の方が多くなっているのかもしれません。先生は居酒屋に入ってはいけないとか、SNSを触ってはいけないなどはまだ良いですが、坊主頭とおかっぱ頭の先生だらけにならない事を願うばかりです。
習慣サポーター けいぞうくん
(掲載日:2021年8月27日)
(次回配信日:2021年9月3日)