No.068 遠いものほど綺麗に見える

遠いものほど綺麗に見える

 富士山は遠くから見ると綺麗ですよね。たまに天気の良い時は東京の高層ビルからも見える時があります。そんな時は富士山の偉大さに畏敬の念すら感じます。私はこれまで2回ほど富士山に登りました。いくつか登山コースがありますが、有名なコースが吉田口コースで、比較的上りやすく休憩所も多いです。一番長いのが御殿場コースです。御殿場コースを登ると分かるのですが、仰ぎ見る富士山は単なる砂利の山のように感じます。吹きっさらしの砂利の山を黙々と登る作業。到達した時の喜びはひとしおですが、遠くから眺めた時の美しさを感じることはありません。

 遠くのものほど綺麗に見えて、近くのものほど粗野に見える。これは何も景色だけの話だけではなく、隣の芝生は青いという言葉があるように、自分に関わるものは粗い部分が目につき、自分が関わっていない事は素晴らしいもののように錯覚することがよくあります。恋愛においても、他人の恋人を好きになってしまう性質を持っている人がいます。この原理に突き動かされているのでしょう。いつでも自分の望みのものを手に入れられると思っている人は、自分がその望みのものを手にした途端、ダメな部分が目につきすぐに飽きてしまうようなタイプの人って大概において幸せになっていないような気がします。

 一定距離を置いて見たら「肌が綺麗で美しい!」と思った人も、顕微鏡レベルで近づいてみたら、毛穴や汗腺でボコボコです。たまに会うくらいなら、面白い素敵な人!と思っても、一緒に住んでみるとゴミ捨てもまともにできない人もいます。仕事もそうです。「この仕事面白そう!」と思って入社、雑用は多い、ちゃんと営業しなきゃいけない、上司は厳しいなど、お金も対してもらえないなど、「思っていたもんとちゃう!」と思う事も多いです。そして、大学時代の同期を見てみると楽しそうに仕事をしている人を見ると、登った山を間違えた!と思って、その山で見られる素敵な景色を眺める前に、下山している人がいます。そういう人の多くは、次の山に登っても厳しい部分や退屈な部分が目につき、またすぐに下山し、次の山を目指し、結果として成長できないでいる人を良く見ます。

 恋愛(結婚)においても、仕事においても、人生において「遠くのものほど綺麗に見えて、近くのものほど粗野に見える」が真理なのだとすると、幸せを掴んだり、成長できる人というのは、目の前の粗野な部分を綺麗にしよう、もしくは目の前の粗野な部分も含めて愛そうと努力している人なんだろうと思います。自分磨き習慣においても同じです、他人の綺麗な部分を見て羨ましがってばかりいるのではなく、下手な競争心や嫉妬心を捨てて、自分の粗野な部分を丁寧に磨いていく事。その繰り返しの中で幸せや成長を掴み取っていくのでしょう。


習慣サポーター けいぞうくん
(掲載日:2021年4月9日)
(次回配信日:2021年4月16日)

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