No.065 年齢不詳に生きる

年齢不詳に生きる
「何歳に見える?」この質問ワードは社会人になってから何回受け、そして何回問うたことでしょうか。社会人になる前は、出会いと言っても同年代だらけなので質問になりません。仮に2個上の先輩がこの質問をしてきた時は、年齢以上に答えるのも年齢以下に答えるのもどちらも失礼にあたる可能性があるので「何を試されているだろうか…」と全力で忖度力を働かせる事でしょう。社会人になってからは、明らかに40歳以上に見える若手や、30代にしか見えない初老の方もいるので、この質問が初対面の会話ネタとして成立してきます。
どのように答えるのが良いのでしょうかね。男女でワイワイしているシーンなどでは、実年齢より若く見えることの方が模範解答でしょう。しかし、ビジネスパーソンとして捉えるならば、若いうちは決して若く見えない方が有利な時もあります。私が若手時代は、早々に結婚していたことと、ダブルのスーツがバッチリ似合う貫禄体型だったので実年齢よりも年上に見られることが多かったです。それによって商談なども比較的安心感を持って受け入れられることも多く、それなりに得したように思います。
実年齢よりも年上に見える人って、多分落ち着いている雰囲気を醸し出している人が多いですよね。自分は所詮こんなものと達観しながら活動している人。逆に「まだまだ自分はこんなもんじゃねぇ!」と売れない若手芸人のようにギラギラ感を漂わせて現実逃避している人は、実年齢よりも年下に見えるでしょう。なのでギラギラしている若手は、「やっぱり若造だなー」と思われるでしょうし、逆に達観している初老はもっと「もうご隠居だなー」と思われるでしょう。
私の経験則上ではありますが、ビジネスシーンで活躍している人や輝いている人は、若手であればあるほど年上に見られて、年配であればあるほど年下に見られるように思います。22歳の新人が、「おれは、こんな世界に留まる人間じゃねぇ」とぼやきながら現実を変えようとばかりしている人は評価されません。逆に50を過ぎた人が「おれは、こんな世界に留まる人間じゃねぇ」と現実を変えようとしている人は「イケおじ」の認定をされがちです。一方で、22歳の新人が「自分は何もない人間だ」と謙虚に自己認識しながら現実に向き合い続けている人はやがて評価されていきます。逆に50を過ぎた人が「自分は何もない人間だ」と卑屈に自己認識しながら現実に固執している人は評価されません。
なので年齢不詳に見えるということはビジネスシーンでは誉め言葉のように思います。若手ほど謙虚に現実に向き合い、年配ほど大胆に現実を変えようとすることです。40を超えたけいぞうくんも「イケおじ」を目指して、若き日の松本人志や長渕剛のようにギラギラしながら、現在のお二方のように筋トレにでも励んでアンチエイジングしたいと思います。
習慣サポーター けいぞうくん
(掲載日:2021年3月19日)
(次回配信日:2021年3月26日)